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著書論文研究ノート・調査報告書評エッセイそのほか学会・研究会展示事業映像

NEW! ・・・ 新しい著作

1. 著書

『吉田富夫コレクション』(共著)、名古屋市博物館、1982年4月20日、1-62頁。

『守山の遺跡と遺物』(共著)、名古屋市博物館、1984年1月28日、1-72頁。

『考古学の風景 名古屋における発見と調査のあゆみ』(共著)、名古屋市博物館、1988年3月5日、1-112頁。

『戸山屋敷銅鐸考』(尾張地域の考古資料に関する文献資料調査(1))、名古屋市博物館、1992年3月31日、1-52頁。

『新博物館態勢 満洲国の博物館が戦後日本に伝えていること』(共著)、名古屋市博物館、1995年9月9日、1-128頁。

『北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ展示作品集[改訂版]』(ウイルタ協会資料館運営委員会編)、ウイルタ協会、2002年2月22日、1-100頁。

『「あのみすず書房が…」という様式 資料館ジャッカ・ドフニ所蔵作品が無断改変・使用されて』(ジャッカ・ドフニリブレット2)、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ、2003年4月29日、1-8頁。

『反博物館論序説――20世紀日本の博物館精神史』、株式会社共同文化社、2015年2月14日、1-296頁。

『藤山一雄の博物館芸術――満洲国国立中央博物館副館長の夢』、株式会社共同文化社、2016年4月16日、1-336頁。

 

2. 論文

「考古学における層位学的研究について――所謂「低地遺跡」の場合――」、関西大学文学部史学科卒業論文、1980年1月1日、1-109頁。

「名古屋市守山区東禅寺古墳群に関する覚え書」『名古屋市博物館研究紀要』第5巻、名古屋市博物館、1982年3月30日、55-66頁。

「古代の志段味に関する覚え書き――野田鎮夫氏採集の円面硯4例」『名古屋市博物館研究紀要』第9巻、名古屋市博物館、1986年3月30日、40-74頁。

「西塚古墳とその周辺――名古屋市中区新栄二丁目所在――」『名古屋市博物館研究紀要』第10巻、名古屋市博物館、1987年3月30日、91-108頁。

「大須二子山古墳の復原的再検討」『名古屋市博物館研究紀要』第13巻、名古屋市博物館、1990年3月30日、91-118頁。

「赤松考古学の夢と光」(共著:辻内義浩・小林義孝)赤松啓介『古代聚落の形成と発展過程』、明石書店、1990年12月25日、349-366頁。

「常設展の活用について」『名古屋市博物館研究紀要』第14巻、名古屋市博物館、1991年3月30日、35-74頁。

「満洲国国立中央博物館とその教育活動」『名古屋市博物館研究紀要』第16巻、名古屋市博物館、1993年3月30日、11-50頁。

「「味美技法」批判」『名古屋市博物館研究紀要』第17巻、名古屋市博物館、1994年3月30日、65-74頁。

「藤山一雄と満洲国の民俗博物館」『名古屋市博物館研究紀要』第17巻、名古屋市博物館、1994年3月30日、75-96頁。

「新京の博物館」「満洲国」教育史研究会編『「満洲国」教育史研究』第2号、東海教育研究所、1994年8月25日、30-45頁。

「満洲国国立中央博物館の展示活動――新京本館大経路展示場の場合――」『関西大学博物館紀要』創刊号、関西大学博物館、1995年3月31日、178-187頁。

「藤山一雄と棚橋源太郎――小型博物館建設論から見た日本人博物館理論の検討――」『名古屋市博物館研究紀要』第18巻、名古屋市博物館、1995年3月31日、43-59頁。

「制度における学芸員概念――形成過程と問題構造――」『名古屋市博物館研究紀要』第19巻、名古屋市博物館、1996年3月31日、39-58頁。

「君知るや満洲国の民俗博物館をI 満洲国国立中央博物館民俗展示場のドキュメント抄」『歴史民俗学』4号、批評社、1996年6月10日、215-235頁。

「君知るや満洲国の民俗博物館をII 藤山一雄の民俗博物館論」『歴史民俗学』5号、批評社、1996年9月25日、243-261頁。

「再び満洲国の博物館に学ぶ――危機における博物館の運動論」『美術館教育研究』Vol.8、No.1、美術館教育研究会、1997年3月1日、3-12頁。

「古墳時代」新修名古屋市史編集委員会編『新修名古屋市史』第1巻、名古屋市、1997年3月31日、327-461頁。

「藤山一雄の学芸員観 補論――博物館制度1996年改定批判」『名古屋市博物館研究紀要』第20巻、名古屋市博物館、1997年3月31日、95-104頁。

「「博物館国家」小考」『博物館史研究』No.5、博物館史研究会、1997年5月20日、6-12頁。

「藤山一雄博物館論ノート」『名古屋市博物館研究紀要』第21巻、名古屋市博物館、1998年3月31日、27-36頁。

「隠蔽のディスクール――佐々木亨「満洲国時代における観光資源、展示対象としてのオロチョン」批判」『博物館史研究』No.12、博物館史研究会、2002年6月26日、21-28頁。

「屹立する異貌の博物館」『学芸総合誌 環』Vol.10、藤原書店、2002年7月30日、225-231頁。

「国立民族学博物館:「フォーラム」を睥睨する「神殿」 「アイヌからのメッセージ」展の吉田憲司フォーラム論批判」『月刊『あいだ』』94号、『あいだ』の会、2003年10月20日、2-15頁。

「21世紀初頭日本の博物館風景 「博物館の望ましい姿」とその周辺」『博物館史研究』No.13、博物館史研究会、2003年11月25日、9-17頁。

「一九四五年以前名古屋の博物館発達史ノート」『関西大学博物館紀要』第10号、関西大学博物館、2004年3月31日、283-291頁。

「屹立する異貌の博物館」藤原書店編集部編『満洲とは何だったのか』、藤原書店、2004年7月30日、200-210頁。

「屹立する異貌の博物館」藤原書店編集部編『満洲とは何だったのか〈新装版〉』、藤原書店、2006年11月30日、200-210頁。

「宮澤賢治「銀河鉄道の夜」の「標本」考」『愛知文教大学比較文化研究』第8号、愛知文教大学国際文化学会、2006年11月30日、1-16頁。

「藤山一雄の初期博物館論――「五十年後の九州」の「整へる火山博物館」――」『地域文化研究』第22号、梅光学院大学地域文化研究所、2007年3月1日、1-11頁。

「対称の中の非対称――常呂川河口遺跡15号竪穴住居跡小考――」『北海道立北方民族博物館研究紀要』第16号、北海道立北方民族博物館、2007年3月22日、1-11頁。

「藤山一雄『新博物館態勢』を読む」橋本裕之編『パフォーマンスの民族誌的研究(2005~2007年度)』(人文社会科学研究科研究プロジェクト成果報告書 第144集)、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2008年2月28日、71-90頁。

「新京動植物園考」『千葉大学人文社会科学研究』第18号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2009年3月20日、15-25頁。

「20世紀日本の博物館に関する研究」千葉大学大学院人文社会科学研究科博士論文、2009年3月25日、1-142頁。

「博物館外部システム論」『千葉大学人文社会科学研究』第19号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2009年9月30日、91-106頁。

「反商品の教育主義――博物館の自意識に関する考察」『千葉大学人文社会科学研究』第20号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2010年3月30日、69-84頁。

「木場-鶴田博物館論の発生史的検討 1930年代後半の自然博物館設立運動」(研究代表者 浜田弘明編)『平成19~21年度科学研究費補助金 基盤研究(C)研究成果報告書 博物館学資料「鶴田文庫」の整理・保存及び公開に関する調査・研究』、(桜美林大学)、2010年3月31日、64-73頁。

「産業と博物館と藤山一雄」『地域文化研究』第25号、梅光学院大学地域文化研究所、2010年3月、1-8頁。

「商品陳列所改造論」千葉大学文学部日本文化学会編『千葉大学日本文化論叢』第11号、千葉大学文学部日本文化学会、2010年7月10日、93-106頁。

「遺跡と人の交通誌――名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第31号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2015年9月30日、48–63頁。

「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第32号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年3月30日、47–62頁。

「ゴジラ起源考」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第33号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年9月30日、44–60頁。

「志段味城の可能性──天白・元屋敷遺跡から湿ヶ遺跡へ──」LOCI編『地域世界』1、LOCI、2021年6月1日、1-18頁。

「稲生原古戦場跡の世界」名古屋郷土文化会編『郷土文化』第76巻第1号、名古屋郷土文化会、2021年8月15日、1-15頁。

「吉田富夫の西志賀世界」LOCI編『地域世界』2、LOCI、2021年10月1日、1-26頁。

「吉田富夫の遺跡公園論と博物館論」LOCI編『地域世界』2、LOCI、2021年10月1日、27-42頁。

「未発の資料館──名古屋市守山区吉根の区画整理と博物館体験──」LOCI編『地域世界』3、LOCI、2022年3月1日、1-22頁。

「井尻正二の「大学的研究と博物館的研究」をめぐる博物館研究の史的検討」LOCI編『地域世界』3、LOCI、2022年3月1日、23-40頁。

「1940年代前半東京科学博物館の団体研究と「開放された大学」」LOCI編『地域世界』3、LOCI、2022年3月1日、41-66頁。

「木場一夫『新しい博物館──その機能と教育活動──』の研究」LOCI編『地域世界』4、LOCI、2022年11月1日、1-32頁。

「東岸居士旧跡の研究―名古屋西区「東岸居士の墓碑」の変容過程」LOCI編『地域世界』6、LOCI、2023年11月1日、1-35頁。NEW!

「上志段味羽根の城跡」LOCI編『地域世界』7、LOCI、2024年1月20日、1-20頁。NEW!

 

3. 研究ノート・調査報告

「名古屋市堀越町遺跡調査概報」(共著:飯尾恭之)『古代人』第24号、名古屋考古学会、1972年9月15日、13-22頁。

「「桜本町遺跡」の破壊に関して」『見晴台と名考会に関する問題提起――その2』、(伊藤禎樹、犬塚康博、岡本俊朗、小原博樹、斎藤宏、桜井隆司、村越博茂、安田利之)、1972年11月26日、17-22頁。

「熱田高蔵遺跡出土 彩文広口壷について」『名古屋市博物館だより』第23号、名古屋市博物館、1981年12月1日、6頁。

「北村斌夫コレクション 卜骨について」『名古屋市博物館だより』第25号、名古屋市博物館、1982年4月1日、6頁。

「守山で古墳発見」『名古屋市博物館だより』第34号、名古屋市博物館、1983年10月1日、4-5頁。

「名古屋市南区桜八幡社境内出土の樽形瓦泉片」『名古屋市博物館研究紀要』第7巻、名古屋市博物館、1984年3月30日、58-62頁。

「志段味の遺跡レポート」『AICHI MUSEO NEWS』8月号、AICHI・MUSEO事務局、1984年8月10日、9–10頁。

「最近出土の勝手塚古墳の埴輪」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』創刊前第1号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1985年2月22日、10-17頁。

「志段味の農鍛冶のこと 話し手:松原真一さん」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』創刊前第2号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1985年3月22日、6-8頁。

「勝手塚古墳、その後」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』創刊前第2号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1985年3月22日、23-26頁。

「上志段味・大塚遺跡について」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』創刊号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1985年8月30日、14-16頁。

志段味の爆撃のこと――一、二の文献から――」(筆名:編集室)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第4号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年4月15日、11-12頁。

「秋葉さまの石塔群について(1)」(共著:加藤良仲)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第4号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年4月15日、20-25頁。

「みやためさの田んぼ」(筆名:編集室)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第5号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年6月1日、27-29頁。

『村絵図』と地図に見る 吉根の土地利用と水」(筆名:編集室)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第5号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年6月1日、31-37頁。

「「吉根の土地利用と水」について」(筆名:編集室)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第6号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年8月20日、21-22頁。

「天白・元屋敷遺跡の豊かさ」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第7号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年10月3日、19-26頁。

「吉根の部分林について」(筆名:編集室)『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第7号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年10月3日、37-43頁。

「東谷山第34号墳の遺物について」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第8号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1987年1月10日、5-9頁。

「名古屋市中区古沢町遺跡出土魚形壷片について」『名古屋市博物館だより』第56号、名古屋市博物館、1987年6月1日、6頁。

「天白・元屋敷遺跡の磨製石斧」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第11号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1987年6月20日、16-18頁。

「ひとつの土器と一葉の写真」『名古屋市博物館だより』第63号、名古屋市博物館、1988年8月1日、4頁。

「須恵器 鳥鈕蓋の一新例」『名古屋市博物館だより』第67号、名古屋市博物館、1989年4月1日、6頁。

「吉根越水古墳の平瓶」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第19号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1990年5月20日、4-5頁。

「鳴海海底銅鐸のこと」『名古屋市博物館だより』第74号、名古屋市博物館、1990年6月1日、6頁。

「大須二子山古墳、その後」『名古屋市博物館だより』第79号、名古屋市博物館、1991年4月1日、4-5頁。

「絵画のある陶硯の破片」『名古屋市博物館だより』第82号、名古屋市博物館、1991年10月1日、6頁。

「勝手塚古墳小考」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第33号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1992年10月10日、3-5頁。

「前方後円墳の出現」『特別展覧会 倭国――邪馬台国と大和王権――』、毎日新聞社、1993年3月23日、76-77頁。

「元日本語教師が語る「満洲・満洲国」教育の実態――山田弥貴氏へのインタビュー記録――」(共著:大森直樹)「満洲国」教育史研究会編『「満洲国」教育史研究』第2号、東海教育研究所、1994年8月25日、116-141頁。

「博物館史研究と満洲国の博物館」『名古屋市博物館だより』第105号、名古屋市博物館、1995年8月1日、6頁。

「展覧会の肉声」『新博物館態勢 満洲国の博物館が戦後日本に伝えていること』、名古屋市博物館、1995年9月9日、25-28頁。

「〈学芸員〉は〈キュレーター〉ではなかった!!」『名古屋市博物館だより』第106号、名古屋市博物館、1995年10月1日、6頁。

「「博物館小考」解説」『博物館史研究』No.1、博物館史研究会、1995年11月20日、10-14頁。

「大東亜博物館の機構の特質」『博物館史研究』No.2、博物館史研究会、1996年3月20日、26-31頁。

「満洲国国立中央博物館に赴任した最後の学芸官」『博物館史研究』No.4、博物館史研究会、1996年11月25日、25-28頁。

「新京動植物園のライオン」『博物館史研究』No.4、博物館史研究会、1996年11月25日、36-38頁。

「淋しい学芸員の終焉/喧噪への序曲――制度改変の意味への問い――」『エル・アール』1、リマーク株式会社、1997年4月15日、32-33頁。

「出版と博物館ブーム」『名古屋市博物館だより』第123号、名古屋市博物館、1998年8月1日、6頁。

「朝鮮館とユートピア」『博物館史研究』No.6、博物館史研究会、1998年8月20日、11-12頁。

「「未来は過去のなかからしか見えてこない」」『月刊ミュゼ』Vol.31、(株)ミュゼ、1998年10月15日、8頁。

「1944年/1949年」『博物館史研究』No.7、博物館史研究会、1999年1月31日、38-41頁。

「富山県立近代美術館問題という博物館問題」『月刊『あいだ』』38号、美術と美術館のあいだを考える会、1999年2月20日、2-4頁。

「博物館史を読みかえる――「農村生活博物館」と「小博物館」」『〈転向〉の明暗――「昭和十年前後」の文学』(文学史を読みかえる3)、インパクト出版会、1999年5月25日、293-298頁。

「子どもと博物館小史1 木場一夫・棚橋源太郎・児童博物館」『newsletter』創刊号、愛知県博物館協会こどもと博物館研究会、1999年9月5日、6頁。

「博物館学の喜劇」『博物館史研究』No.9、博物館史研究会、2000年2月14日、21-25頁。

「大東亜博物館の地平」『戦時下の文学――拡大する戦争空間』(文学史を読みかえる4)、インパクト出版会、2000年2月25日、217-219頁。

「子どもと博物館小史2 昭和9年の「コドモ博物館」」『newsletter』No.2、愛知県博物館協会こどもと博物館研究会、2000年3月25日、6頁。

「参加記(原題:博物館と子どもの風景)」愛知県博物館協会子どもと博物館研究会編『あいち子ども体験ミュージアム事業報告書』、愛知県博物館協会、2001年3月31日、92頁。

「富山県立近代美術館問題という博物館問題」『富山県立近代美術館問題・全記録――裁かれた天皇コラージュ』、桂書房、2001年10月25日、98-101頁。

「「あのみすず書房が…」という様式 資料館ジャッカ・ドフニ所蔵作品が無断改変・使用されて」『先住民族の10年News』第86号、先住民族の10年市民連絡会、2002年7月13日、14-16頁。

「中生勝美「論」文は、21世紀の「ウィルタのウソのお話」である」『先住民族の10年News』第94号、先住民族の10年市民連絡会、2003年5月10日、12-13頁。

「北海道大学総合博物館問題再考」『北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニニュースnadasa』No.9、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ、2003年10月5日、1-6頁。

「『興業意見』の陳列所・博物館論」『千葉大学人文社会科学研究』第21号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2010年9月30日、350-359頁。

『農業振興に関する条例の調査報告書―地産地消推進条例について―』、犬塚康博、2012年9月19日、1-80頁。

「「大衆の考古学」を記念する」伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日、389-394頁。

「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、228-236頁。

「古墳研究の精神史―1970年代名古屋から眺める」『千葉大学人文社会科学研究』第29号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年9月30日、176-185頁。〔正誤表

「天白・元屋敷遺跡考」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第66号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2015年2月9日、7-14頁。

「朝日遺跡の精神史」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第30号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2015年3月30日、177–186頁。

「天白・元屋敷遺跡の範囲」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第67号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2015年10月15日、15–22頁。

「川湊という物語」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第67号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2015年10月15日、23–28頁。

「例会報告 「上志段味の古墳群を考える」」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第69号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2017年9月25日、18–19頁。

「東谷32号遺構について 2016年10月例会「上志段味の古墳群を考える」補遺」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第69号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2017年9月25日、24–26頁。

「天白・元屋敷遺跡第三回シンポジウムの記録」地方史研究協議会編『地方史研究』第389号、地方史研究協議会、2017年10月1日、129–132頁。

「「金田一京助博士の歌碑」小考」「北海道の文化」編集運営委員会編『北海道の文化』第93号、(一財)北海道文化財保護協会、2021年3月31日、33–40頁。

「吉根の地下壕と小牧飛行場──小林茂埜「召集の思い出」を読みかえす」LOCI編『地域世界』4、LOCI、2022年11月1日、43-48頁。

「「霊火の妻問ひ」と惣兵衛川──名古屋北西部低地の論理」LOCI編『地域世界』5、LOCI、2023年5月1日、1-14頁。NEW!

「略奪文物返還問題備忘録」LOCI編『地域世界』5、LOCI、2023年5月1日、33-58頁。NEW!

「二論文補遺―「稲生原古戦場跡の世界」と「「霊火の妻問ひ」と惣兵衛川」」LOCI編『地域世界』6、LOCI、2023年11月1日、37-44頁。NEW!

「収容所の博物館、占領期の博物館(博物館と主権に関するノート)」LOCI編『地域世界』7、LOCI、2024年1月20日、37-52頁。NEW!

 

4. 書評

「楽しい考究 猿と人の交渉史(書評・廣瀬鎮『猿と日本人』第一書房)」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第24号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1991年3月10日、9頁。

「考古学の原点は民衆と地域の中に(書評・赤松啓介『古代聚落の形成と発展過程』明石書店)」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第24号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1991年3月10日、9-10頁。

「あなたのまちの博物館は市民に開かれているか(書評・伊藤寿朗『ひらけ、博物館』岩波ブックレットNo.188、岩波書店)」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第25号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1991年5月10日、14-15頁。

「博物館主体の脆弱(書評・『月刊歴史手帖』第20巻第11号「小特集 学芸員問題を考える」)」『博問研ニュース』No.154、博物館問題研究会、1993年7月26日、6頁。

「博物館史はどう読まれてはならないか――『博物館基本文献集』の書評にかえて――」『博物館問題研究』No.23、博物館問題研究会、1993年10月20日、19-24頁。

「露わになった博物館における近代(書評・田中聡『衛生展覧会の欲望』)」『博問研ニュース』No.163、博物館問題研究会、1994年9月10日、14頁。

「[書評]金子淳『博物館の政治学』」『千葉大学人文社会科学研究』第15号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2007年9月30日、152-156頁。

「[書評]伊藤寿朗『ひらけ、博物館』」『千葉大学人文社会科学研究』第16号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2008年3月15日、297-301頁。

 

5. エッセイ

「壷」『名古屋市博物館だより』第16号、名古屋市博物館、1980年10月1日、7頁。

「短頸壷」『名古屋市博物館だより』第20号、名古屋市博物館、1981年6月1日、7頁。

「埴輪片」『名古屋市博物館だより』第22号、名古屋市博物館、1981年10月1日、7頁。

「広口壷」『名古屋市博物館だより』第26号、名古屋市博物館、1982年6月1日、7頁。

「埴輪片」『名古屋市博物館だより』第28号、名古屋市博物館、1982年10月1日、7頁。

「横瓶」『名古屋市博物館だより』第30号、名古屋市博物館、1983年2月1日、7頁。

「軒丸瓦」『名古屋市博物館だより』第32号、名古屋市博物館、1983年6月1日、7頁。

「「守山の遺跡と遺物」調査メモ(1)」『名古屋市博物館だより』第32号、名古屋市博物館、1983年6月1日、8頁。

「「守山の遺跡と遺物」調査メモ(2) 小幡字山脇・大谷の遺物散布地と守山東中学校郷土クラブ」『名古屋市博物館だより』第33号、名古屋市博物館、1983年8月1日、5頁。

「飯尾恭之氏収集考古資料」『名古屋市博物館だより』第33号、名古屋市博物館、1983年8月1日、6頁。

「「守山の遺跡と遺物」調査メモ(3) 守山区に残る近世の農村遺跡について」『名古屋市博物館だより』第34号、名古屋市博物館、1983年10月1日、8頁。

「「守山の遺跡と遺物」調査メモ(4) 再び、中世・近世の遺跡について」『名古屋市博物館だより』第35号、名古屋市博物館、1983年12月1日、6頁。

「細頸壷」『名古屋市博物館だより』第37号、名古屋市博物館、1984年4月1日、7頁。

「提瓶」『名古屋市博物館だより』第39号、名古屋市博物館、1984年8月1日、7頁。

「台付壷」『名古屋市博物館だより』第40号、名古屋市博物館、1984年10月1日、7頁。

「徳山会館――その問題点のとり急ぎのメモ――」『美濃徳山村通信』第5号、徳山村の自然と歴史と文化を語る集い(徳山村ミニ学会)事務局、1984年11月12日、4-15頁。

「子持脚付広口壷」『名古屋市博物館だより』第41号、名古屋市博物館、1984年12月1日、7頁。

「徳山村――来年はもっと良い年になりますように」『美濃徳山村通信』第6号、徳山村の自然と歴史と文化を語る集い(徳山村ミニ学会)事務局、1984年12月28日、8-12頁。

「弥生土器 細頸壷」『名古屋市博物館だより』第44号、名古屋市博物館、1985年6月1日、7頁。

「須恵器 獣足壷」『名古屋市博物館だより』第45号、名古屋市博物館、1985年8月1日、7頁。

「再見」岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記――日本考古学の変革と実践的精神――』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、284-289頁。

「軒丸瓦」『名古屋市博物館だより』第47号、名古屋市博物館、1985年12月1日、7頁。

「「徳山村文化遺産保存事業」に思う」『美濃徳山村通信』第20号、徳山村の自然と歴史と文化を語る集い(徳山村ミニ学会)事務局、1986年2月28日、2-8頁。

「蓮弁文壷」『名古屋市博物館だより』第49号、名古屋市博物館、1986年4月1日、7頁。

「椀」『名古屋市博物館だより』第52号、名古屋市博物館、1986年10月1日、7頁。

「方形軒瓦」『名古屋市博物館だより』第53号、名古屋市博物館、1986年12月1日、7頁。

「宝篋印塔(基礎)」『名古屋市博物館だより』第55号、名古屋市博物館、1987年4月1日、7頁。

「弥生土器 鉢」『名古屋市博物館だより』第57号、名古屋市博物館、1987年8月1日、7頁。

「縄文土器 浅鉢」『名古屋市博物館だより』第61号、名古屋市博物館、1988年4月1日、7頁。

「愛染明王扇面散双鶴鏡」『名古屋市博物館だより』第63号、名古屋市博物館、1988年8月1日、7頁。

「広口壷片」『名古屋市博物館だより』第64号、名古屋市博物館、1988年10月1日、7頁。

「須恵器 」『名古屋市博物館だより』第68号、名古屋市博物館、1989年6月1日、7頁。

「挂甲小札」『名古屋市博物館だより』第69号、名古屋市博物館、1989年8月1日、7頁。

「土偶」『名古屋市博物館だより』第70号、名古屋市博物館、1989年10月1日、7頁。

「大須二子山古墳出土の画文帯仏獣鏡と鈴釧」(共著:安達厚三)『名古屋市博物館だより』第71号、名古屋市博物館、1989年12月1日、6頁。

「石杵」『名古屋市博物館だより』第71号、名古屋市博物館、1989年12月1日、7頁。

「見晴台遺跡、銅鐸形土製品、坪井邦夫氏、そして戦争」『名古屋市博物館だより』第72号、名古屋市博物館、1990年2月1日、6頁。

「瓦製光背片」『名古屋市博物館だより』第72号、名古屋市博物館、1990年2月1日、7頁。

「古墳研究雑感」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第18号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1990年4月20日、5-6頁。

「第2回博物館法勉強会参加記」『博問研ニュース』No.142、博物館問題研究会、1990年6月9日、2-3頁。

「エコミュージアム雑感」『博問研ニュース』No.146、博物館問題研究会、1991年8月1日、8-9頁。

「展示室のテーブルと椅子」『博問研ニュース』No.149、博物館問題研究会、1992年4月6日、6頁。

「美術館教育を考える① 「日本・ドイツ美術館教育シンポジウムと行動」に参加して」『博問研ニュース』No.151、博物館問題研究会、1992年10月1日、5頁。

「美術館教育を考える② 美術館教育の一事例に接して」『博問研ニュース』No.152、博物館問題研究会、1992年12月12日、9頁。

「博物館いまだ戦中/「満洲国国立中央博物館」の教訓/法改正や技術発展より新思想の確立をめざせ」『朝日新聞』1993年7月16日夕刊、朝日新聞社、1993年7月16日、*面。

「美術館教育を考える③ 博物館教育の一事例に関わって」『博問研ニュース』No.154、博物館問題研究会、1993年7月26日、5頁。

「東京と大阪の間で思うこと」『博問研ニュース』第158号、博物館問題研究会、1994年3月9日、6-7頁。

「東京と大阪の間で思うことII」『博問研ニュース』第160号、博物館問題研究会、1994年6月1日、9-11頁。

「博問研はどういう局面を迎えているのか」『博問研ニュース』第161号、博物館問題研究会、1994年6月21日、9-10頁。

「戦後五〇年のある風景」『エル・アール』9、書肆・博物誌、1998年9月1日、24-33頁。

「博物館員調査ノススメ」平成9年度愛知県博物館協会歴史民俗部門研修会担当館(一宮市博物館・名古屋市博物館)編『愛知県博物館協会歴史民俗部門研修会の記録 活きている博物館 歴史系博物館のこれから』、愛知県博物館協会、2000年2月17日、84頁。

「私のジャッカ・ドフニ体験」『アルドゥ』臨時号、ウィルタ協会、2001年5月15日、2-3頁。

「開館23年目の資料館ジャッカ・ドフニ」『先住民族の10年News』第75号、先住民族の10年市民連絡会、2001年6月9日、12-13頁。

「博物館のアクチュアリティを想う」『友の会ニュース』41、財団法人北方文化振興会、2001年10月19日、1-2頁。

「ジャッカ・ドフニから眺める」『月刊『あいだ』』74号、『あいだ』の会、2002年2月20日、2-9頁。

「市民発掘、過渡期迎え中止」を読んで」『考古学の風景』(web site)http://archaeologyscape.kustos.ac/ 、 2019年8月19日。

小林茂埜氏の「召集の思い出」を29年ぶりに読んで」、『吉根志段味資料室』(web site)http://kikko.shidami.nagoya/ 、 2020年8月15日。

 

6. そのほか

(インタビュー)「名古屋市博物館「新博物館態勢」展 戦後の新博物館構想は、満州から始まった。犬塚康博(学芸員)」『DOME』Vol.25、日本文教出版、1996年4月1日、6-10頁。

「基調報告」平成9年度愛知県博物館協会歴史民俗部門研修会担当館(一宮市博物館・名古屋市博物館)編『愛知県博物館協会歴史民俗部門研修会の記録 活きている博物館 歴史系博物館のこれから』、愛知県博物館協会、2000年2月17日、4-8頁。

「COE公開研究会「学芸員の専門性をめぐって」第2回 今後の博物館活動と博物館学の方向性」(共著:浜田弘明、金子淳、竹内有里)「人類文化研究のための非文字資料の体系化」第5斑編『高度専門職学芸員の養成――大学院における養成プログラムの提言――』(神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」研究成果報告書)、神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」研究推進会議、2008年3月20日、82-112頁。

「博物館史から見る橋下府政の博物館論」大阪民衆史研究会編『大阪民衆史研究』第64号、大阪民衆史研究会、2010年3月3日、3-21頁。

「「歴史の里」基本計画(案)に対する意見書」(共著:野田輝己・高木傭太郎・櫻井隆司・玉岡悟司)、(志段味の自然と歴史に親しむ会世話人)、2014年2月8日、1-6頁。

「長谷川佳隆氏と歴史の里」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第68号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2016年8月30日、29-40頁。

「天白・元屋敷遺跡の歴史地理学と「志段味城」」LOCI編『地域世界』1、LOCI、2021年6月1日、31-46頁。NEW!

 

7. 学会・研究会

「名古屋台地の古墳の動向」、第2回市民シンポジウム「名古屋台地の古代史」、名古屋市社会教育センター、1991年11月23日

「満洲国国立中央博物館と現在」、「満洲国」教育史研究会第17回研究会、お茶の水大学、1993年10月23日

「見晴台とは何か」、第3回市民シンポジウム「見晴台を考える」、名古屋港ポートビル、1993年11月21日

「満洲国の博物館と日本の博物館」、名古屋市博物館特別展「新博物館態勢」講演会、名古屋市博物館、1995年10月10日

「志段味の古墳を考えるII」、志段味の自然と歴史に親しむ会4月例会、志段味地区会館、1996年4月21日

「〈新博物館態勢〉から〈新しい博物館〉へ」、「満蒙開拓」調査研究会5月例会、ホテルコンコルド浜松、1996年5月5日

「藤山一雄と博物館」、由宇町教育委員会教育文化講演会、由宇文化会館、1996年7月13日

「志段味の古墳を考えるIII-『新修名古屋市史』第1巻の記述から-」、志段味の自然と歴史に親しむ会9月例会、志段味地区会館、1997年9月28日

「自分史の中の〈こどもと博物館〉」、愛知県博物館協会子どもと博物館研究会第4回研究会、愛知県陶磁資料館、1999年10月8日

「戦後博物館の存在論的考察――1930年代後半の自然博物館設立運動」、鶴田文庫勉強会、豊島区勤労福祉会館、2000年2月12日

「木場一夫「自然研究と路傍博物館」を読む」、愛知県博物館協会子どもと博物館研究会第6回研究会、名古屋市博物館、2000年6月16日

「昭和前期の博物館」、日仏会館セミナー〈戦争とメディア〉第5回研究会、日仏会館、2000年9月18日

「満洲再発見」、網走西ロータリークラブ例会、網走セントラルホテル、2001年10月25日

「80年後に読む藤山一雄「五十年後の九州」――グランドデザインの中の博物館」、梅光学院大学地域文化研究所第22回大会講演、梅光学院大学、2006年11月18日

「新京動植物園を読む」、20世紀メディア研究所第36回研究会、早稲田大学、2006年12月16日

「藤山一雄博物館論の原像――「五十年後の九州」を読む」、千葉大学大学院人文社会科学研究科プロジェクト「パフォーマンスの民族誌的研究」第20回研究会、千葉大学、2006年12月17日

「学芸員、高度、専門性、その外部」、神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」実験展示班公開研究会「学芸員の専門性をめぐって」第2回「今後の博物館活動と博物館学の方向性」、神奈川大学、2007年3月26日

「鶴田総一郎の博物館論と現実」、鶴田文庫公開研究会、桜美林大学、2009年3月7日

「博物館はどのような存在であったのか――博物館史の立場から――」、大阪の文化財と博物館を考える集い・IV 市民はどのような博物館を求めているのか、大阪府立労働センター エル・おおさか、2009年3月20日

「長谷川佳隆氏と歴史の里」、志段味の自然と歴史に親しむ会10月例会、守山生涯学習センター、2015年10月18日

「上志段味の古墳群を考える」、志段味の自然と歴史に親しむ会10月例会、守山生涯学習センター、2016年10月1日

「天白・元屋敷遺跡について」、第3回シンポジウム「庄内川河畔・古代から中世にかけての広大な遺跡 守山区中志段味天白・元屋敷はどういう遺跡だったのか」(コメンテーター)、中部大学名古屋キャンパス、2017年3月18日

「天白・元屋敷遺跡の考古地理学と「志段味城」」、志段味の自然と歴史に親しむ会11月例会、守山生涯学習センター、2017年11月25日

 

8. 展示

第4回収蔵品展の企画構成、名古屋市博物館、1981年2月7日~3月8日。

第6回収蔵品展「名古屋の考古学者 吉田富夫コレクション展」の企画構成、名古屋市博物館、1982年4月29日~6月6日。

部門展「身近なまちの考古学 守山の遺跡と遺物」の企画構成、名古屋市博物館、1984年1月28日~2月26日。

特別展「考古学の風景 名古屋における発見と調査のあゆみ」の企画構成、名古屋市博物館、1988年3月5日~4月10日。

第13回収蔵品展の企画構成、名古屋市博物館、1989年4月29日~6月4日。

触れてみる学習室の企画構成、名古屋市博物館、1990年~1997年。

特別展「マヤ文明展」の展示構成、名古屋市博物館・毎日新聞社、1990年11月3日~12月9日。

常設展フリールーム「おおむかしの大須」の企画構成、名古屋市博物館、1991年3月27日~5月19日。

企画展「原始・古代を遊ぶ」の企画構成、名古屋市博物館、1991年9月14日~10月13日。

常設展フリールーム「おおむかしの名古屋② 西志賀遺跡」の企画構成、名古屋市博物館、1991年11月27日~1992年1月26日。

特別展「ベルリン東洋美術館名品展」の展示構成、名古屋市博物館・中日新聞社、1992年4月18日~5月31日。

常設展フリールーム「おおむかしの名古屋③ 正木町遺跡」の企画構成、名古屋市博物館、1992年9月23日~11月23日。

特別展「倭国――邪馬台国と大和王権――」の展示構成、名古屋市博物館・京都国立博物館・茨城県立歴史館・福岡市博物館・毎日新聞社、1993年5月21日~6月20日。

常設展フリールーム「おおむかしの名古屋④ 見晴台遺跡」の企画構成、名古屋市博物館、1994年3月23日~5月22日。

常設展フリールーム「おおむかしの名古屋⑤ 志段味の古墳」の企画構成、名古屋市博物館、1995年3月29日~5月21日。

特別展「新博物館態勢 満洲国の博物館が戦後日本に伝えていること」の企画構成、名古屋市博物館・毎日新聞社、1995年9月9日~10月15日。

町制施行70周年記念特別展「――郷土の先覚――藤山一雄と博物館」の企画構成協力、由宇町歴史民俗資料館、1996年6月9日~8月31日。

北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ常設展示の更新協力、ウイルタ協会、2002年。

 

9. 事業

「夏休み親子博物館週間」の企画構成、名古屋市博物館、1990年~1997年。

「歴史教室」の企画構成、名古屋市博物館、1997年~2000年。

平成12年度文部科学省委託親しむ博物館づくり事業「あいち子ども体験ミュージアム事業」の企画構成、愛知県博物館協会、2000年~2001年。

 

10. 映像

守山の古墳(ビデオコーナー番組)、名古屋市博物館、1984年1月(供用開始)。

守山の古墳〔改訂版〕(ビデオミュージアム番組)、名古屋市博物館、1992年1月(供用開始)。