遠くの図書館から借りてもらった本(1) の、巻頭図版のひとつに学ぶ。
図像学的に、被写体は考古学の対象でありながら、石碑すなわち史、文を中心に据えるという、この写真の精神性の問題。
政治学的に、大日本帝国期日本の指定(1931年)でありながら、大衆の立ち入りが可能だった撮影当時の政治的自由。ひるがえって昨今、行政権力による古墳整備・管理がもたらす抑圧、すなわち政治的不自由の問題。
たとえば、近代天皇制のもと仁徳天皇陵と定義されきたった大仙古墳も、江戸時代には民衆がこれにのぼり興じていた。それに通じる気配が、この写真から感じられる。およんで古墳の権力性とは、築造当時の古代奴隷制はいざ知らず、近代天皇制、さらに現在の民主封建制の所産とみなすことができるだろう。
八幡山古墳の、秀でた近代性についてはさらにもう一点あるが、それはまた別の機会に。
注- 名古屋市役所経済局文化財調査保存委員会『名古屋史蹟名勝紀要』、芸術案内社、1954年12月25日、(巻頭図版)。 ↩
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