コンテンツへスキップ →

諏訪山遺跡

6月になったので、ためてしまった手紙を書き、きのう夕方、犬の散歩をしがてら投函する。

諏訪山遺跡――。『緑区の歴史を学ぼう会会報』を送ってくださった堀崎先生に礼状を書きながら思い出す。

公共施設を作る工事でこの遺跡が破壊されたとき、飯尾さんについて現場を見にいった。日曜の午後だったろうか。古墳時代の土師器の高杯があらわれていた。脚部の裾が屈折して外へ広がるタイプの、赤褐色を呈する高杯だった。高杯は、土がついたままビニール袋に入れて、帰りに寄った飯尾さんの実家に託した。

現場を去るとき、遺跡のある丘陵が夕闇に黒く浮かんでいた。

公共施設なのに遺跡を破壊するのか、と思ったことを忘れない。緑区役所だとすると、1974年1月に現在地へ移転したから工事は前年の1973年となるが、もう少し前だったような気がする。別の施設かもしれない。

吉田富夫先生は、諏訪山遺跡について「弥生後期の土器を出したが、この時期にこのような高い丘陵に占拠するのは珍しい(1) 」と書いて高地性遺跡を示唆されていたが、高杯は少し時代の下るものだったため、異なる印象を抱いたことを憶えている。

ふと思う。あの高地性遺跡体験のポテンシャルが、約10年後――たったの10年後――の東谷山山頂遺跡体験につながっていたのだろうか、と。

  1. 吉田富夫「諏訪山遺跡」『名古屋の史跡と文化財』、名古屋市教育委員会、16頁。

カテゴリー: archaeological studies

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です