遠くの図書館から借りてもらって、きのう返した別の本(1963年刊)から。曰く、
給水塔は標高105m(当所最高地)の丘の上、地上21mの雄姿は強くそびえ立ち、はるかに東海道線の車窓よりも望見され、当所の象徴として広く親しまれている。
そういえば、藤山一雄も満洲国新京特別市の都市論で書いていた。
古き長春の町の回顧を彩りしものは、実にかの赤き夕日に映ゆる、上水タンクの姿である。此の上水タンクは、遮るものなき平野面に成長せる満鉄沿線都市の姿態を、如何にメランコリツクに、亦言ふべからざる甘き悲しみに似たる賑やかさを添えたことだらう。(藤山一雄「国都建設について」『帰去来抄』、東光書苑、1937年9月18日、66頁。)
給水塔なのである。
閑話休題。本にある給水塔を利用していた施設はなくなったが、給水塔は装いを変えていまもあることが、Googleマップ、ストリートビューでわかる(先頭の写真)。
私が生まれる10年前に、ここで死んだ祖父も、きっとこの給水塔を見ただろう。見舞ったに違いない16、17歳頃の母も、伯父も、叔父も。祖母も?そう思うときこの給水塔は、母方の親族の「象徴」なのかもしれない。行かなくちゃ。
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