昨夜、帰りのこだま号で、Googleマップを見ると浜松の伊場遺跡の横を過ぎるところだった。保存運動があったからいまがある。1969年、國學院大学の考古学専攻生と岡山大学の考古学専攻生が伊場遺跡で出会う。その伊場遺跡に行ってみようか、と思った。その前に…。
考古学をしていたことだし、今回の名古屋ゆき、それらしいことを多少はしておこうということで、きょう午後に見晴台遺跡へゆく。これもたいへん久しぶり。西からゆくことが多かったが、東から向かう。建物が切れると眼前に緑の台地と空が広がる。ちょっと感激の開放感。
駐車場に車を置き、考古資料館に向かう。建物の外壁は真っ黒。白亜の瀟洒な小博物館はそこにない。館内ロビーは情報で溢れている。いまの時代を映しているのであろう。戸外の木が大きくなり葉も茂る季節のため、そこに入る外光も多くない。展示室の半分は展示替中。見られる部分だけを観る。展示品が「既知か、未知か」で見てゆくのは、体験(パフォーマンス)的に間違っていないと思う。知っている資料の前では記憶を総動員し、知らない資料、珍しい資料の前でしばし立ち止まり、解説と対照しながら考える。私の考古学的知識は古いが、着いてゆける内容ではあった。
展示作業中の人に見知った顔があった。声をかける。双方「お久しぶりです」から始まり、立ち話は彼の独演会となる。昔からそういう人だった。発想が面白いから、ご自身で愉しんでいるようすがとてもよくわかる。市民参加発掘調査がこの秋に再開されるという。小学生の参加もあるらしい。「来てくださいよ」とリップサービスされ、嬉しがる。
遺跡公園を歩くと、壕の位置を示す花壇に、ひときわ背高のタチアオイがきれいだった。下の方からはスポーツする若い人たちの声もして…。
夏草や兵どもが夢の跡
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