『創立百周年記念 庄内』には、編纂に際して新規に撮影したと思われる、惣兵衛川の写真が2点ある。そのうちの1点は、以前に「惣兵衛川」で紹介したが、撮影された場所を探すことまではしなかった。ここでは、未紹介の1点とともに、撮影地点について覚えをしておきたいと思う。
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上の写真には、上辺に木の葉が写り、右から斜めに木の幹がのびているのが見える。奥の方に繁みがあるようすも、水面に映っている。1972年頃までの庄内学区内の惣兵衛川で、河畔に樹木が繁っていたのは庚申塚(下図●)付近から上流のことであった。それは、1967年1月25日撮影の空中写真にあきらかであり、次の写真にも見て取れる。ところで、先に「庚申塚──霊火の妻問ひ」で見た1937年頃の写真にも、川に倒れかかるようにしてのびる松の木があった。上と同じ木であろう。わかりにくいが、左側の人家の屋根の向きも矛盾しない。以上からこの写真は、庚申橋(下図●)の上から上流方向を写したものと見られる。
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この写真で目につくのは、瓦屋根の家が並ぶなか、川の左側のひときわ高く大きなビルである。これは現存しないが、4階建の集合住宅(下図┻、西区大金町2丁目53)で、2014年4月撮影のGoogle マップのストリートビューには写っている。そして、右側の2階建ての民家が助上橋のたもとに現存することとをあわせると(下図■、西区大金町5丁目5)、この写真は名塚橋を目の前にして下流方向を撮影したことがわかる。撮影場所は庚申橋(下図●)の上である。
2枚の写真は、庚申橋の上から上流と下流に向けて撮影されたことがわかるが、撮影日時が同じかどうかは定かでない。水を湛えるようすからは、いずれも水田に水を送る季節の撮影だったと思われる。
注
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