「稲生街道(1) 」──。よそゆきに文化財的に整備された、町並み然、街道然とした景色とは異なる、江戸時代以前から営まれてきた日常が潜んでいるかのように感じられて、腑に落ちるのである。機材を整えたプロ・アマカメラマンのしょった厭味もなく、見ていて飽きない。これは、以前に紹介した惣兵衛川の写真と同じ本に載るさし絵である。掲載書が刊行された前年の1972年か、それまでの近い時期に撮影されたものと思われる。
きのう思い立ち、この場所を探してみた。Google マップのストリートビューを、書かれてあるように「浄心の観音堂から北へ(2) 」進むと、ほどなくしてわかった。ここでよいだろう。近世稲生村の集落の西端にあたる。
2019年6月現在のようす
45年以上経ってもあまり変わっていない。撮影当時も、旧状を伝える場所として知られていたのであろうか。学区を熟知した住民と小学校教員とによる学区誌編纂の深遠、その一端に触れたような気がする。
ちなみに『西春日井郡誌』は、稲生街道について次のように書いていた。
名古屋布袋線 本線は俗に稲生街道といひ、名古屋市江川端浄心寺より庄内村大字名塚に入り地蔵橋を渡り稲生に出で庄内川橋(明治四十二年の架設にして其長さ百六十二間)を渡りて庄内川西堤を山田村大字上小田井に入り同大字中小田井に於て布袋西枇杷島線即ち岩倉街道に相合し北進するものなり(3) 。
『庄内町誌』は、この文章を書き直して載せ、次を続けている。
本道路は其開設詳ならざるも昔は隣接町村に通ずる往来するものに対し開設し本町より名古屋に通ずる唯一の交通路と成し居れり(4) 、
付記:調べ終えて検索すると、「楽苦我喜情報館 > 街道物語 > 稲生街道」に、同じ場所で撮影された写真があった。その写真では、左側手前に民家があり、まだ駐車場になってはいない。Google マップのストリートビューによれば2012年3月には駐車場になっているので、それよりも前に撮影されたことがわかる。
注
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