この写真(1) にも、美しい惣兵衛川が見える。ひとつ下流の橋(名塚橋)から、庚申塚と川、庚申橋とを写したものと思われる。木立の右に庄内町役場の建物がある。
この写真を載せる『庄内町誌』には、「庚申塚の神威と霊火の妻問ひ」という一文があり、前半、「庚申塚の神威」について書いたあと、その末尾に「こゝに面白い話がある」と添えて、「霊火の妻問ひ」を続ける。後半部分はつぎのとおり。
(略)こゝに面白い話がある。
それは徳川末期から明治初年へかけてのことであるがこの庚申様は男神で男盛りであつた。こゝに又名古屋市西区の児玉町の女神お杓子様が若く美しかつたので甚だ可愛き者に思て毎夜妻問ひをなさつた。丁度夜の九つ時と思はれるころ一団の霊火となつてあだかも自転車の走る位の速さで総兵衛川を下つて往還をなさる。その往還に於て神様の機のよい時と悪いとある。それは霊火の色速さで判別される。機嫌のよい夜は総兵衛川で魚をあさると獲る所頗る多量であるが機嫌の悪い時はいさゝかもその利を得ない。それでその霊火の色速さを見て今夜は機嫌がよいといつて急に夜中から魚猟におもむく者もあつたといふ(2) 。
なお『創立百周年記念 庄内』は、上の写真を転載し(3) 、「霊火の妻問ひ」の話を平易な文にあらためて載せている(4) 。
注
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