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発掘50年補遺

写真と記憶とから先の記事を書いたが、見晴台遺跡第8次発掘調査参加を記録した当時のノートが出てきたので、記事に関係する部分のみ引用しつつ、以下に補遺する。

  • 私が参加したのは、8月15日(金)全日、同17日(日)全日、同19日(火)午後半日。
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  • 8月15日:8–3トレンチ(1) 担当。

吉田先生は、「ここは、住居址だとすると、わざわざ黒土をしいたのだろう。」とおっしゃった。
また川田中の先生は、「これから発掘していくのなら、隅丸方形の住所址と考えていくといい。」とおっしゃっていた。

  • 8月17日

飯尾恭之さんが来た。

  • 8月19日:8–5トレンチ(2) 北側担当。

岡本さんに見せたら、彼は、三渡先生に見せた。

そのあと桜台高校でコンパがあり、ぼくは2日半発掘参加したので1000円もらった。

「川田中」は川名中の誤記。「川田中の先生」は川名中の荒木実先生のこと。

ノートから、全期間参加していなかったこと、岡本さんとは、会っただけでなく同じトレンチで作業し、指導を乞うていたことなどがわかる。

なお、ノートに書かれている発掘調査に関する所見などについては、別の機会に紹介したい。

  1. 「第4図 見晴台第Ⅷ次発掘区平面図」の「8–3」と同じ。吉田富夫・荒木実『見晴台遺跡第Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ次発掘調査概報』、財団法人荒木集成館、1992年7月1日、5頁。
  2. 「第4図 見晴台第Ⅷ次発掘区平面図」の「M5T」と同じ。同書、5頁。

カテゴリー: archaeological studies memoirs

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