写真と記憶とから先の記事を書いたが、見晴台遺跡第8次発掘調査参加を記録した当時のノートが出てきたので、記事に関係する部分のみ引用しつつ、以下に補遺する。
- 私が参加したのは、8月15日(金)全日、同17日(日)全日、同19日(火)午後半日。
- 8月15日:8–3トレンチ(1) 担当。
吉田先生は、「ここは、住居址だとすると、わざわざ黒土をしいたのだろう。」とおっしゃった。
また川田中の先生は、「これから発掘していくのなら、隅丸方形の住所址と考えていくといい。」とおっしゃっていた。
- 8月17日
飯尾恭之さんが来た。
- 8月19日:8–5トレンチ(2) 北側担当。
岡本さんに見せたら、彼は、三渡先生に見せた。
そのあと桜台高校でコンパがあり、ぼくは2日半発掘参加したので1000円もらった。
「川田中」は川名中の誤記。「川田中の先生」は川名中の荒木実先生のこと。
ノートから、全期間参加していなかったこと、岡本さんとは、会っただけでなく同じトレンチで作業し、指導を乞うていたことなどがわかる。
なお、ノートに書かれている発掘調査に関する所見などについては、別の機会に紹介したい。
注
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