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発掘50年

「発掘五〇年」は近藤義郎先生の著書(1) のタイトルだが、先生の充実した考古学研究のそれとは異なり、私の「発掘50年」は、50年前、はじめて発掘調査に参加したということにすぎない。のちに就いた仕事が「発掘をしない考古学」だったこともあり、発掘との濃厚な関係はできずじまいだった。

50年前、名古屋市南区にある見晴台遺跡の第8次発掘調査に参加した。学校単位の募集や、学校のクラブ顧問引率による参加ではなく、この年の春、偶然お会いした飯尾恭之氏に紹介されて得た機会だった。1969年8月13日から8月19日まで、台地東側の低地でおこなわれた調査(2) に、全期間参加したかどうか忘れたが、最終日のことを憶えている。

その日の夕方近く、台地斜面の道路脇に試掘坑が設けられ、一群の人がそこを囲んでいた。調査はもう終わるのに掘っていた。試掘坑は一坪に満たない狭いもので、中で男性がひとり一生懸命掘っているのである。俺がやります!という感じで。その人は、その日だけ、その時だけ参加していて、けれどみんなの知り合いらしく、和気あいあいとした雰囲気がそこにあった。岡本俊朗氏だった。紹介されて言葉を交わしたかどうか、誰かに教えてもらったのか記憶にないが、そのときはじめて岡本さんを見た。

そのあと、1983年に急逝されるまで交流があったにもかかわらず、第8次発掘調査のときのことを、「あれは岡本さんだったですよね」と聞かないまま過ぎてしまった。(いや、聞いただろうか・・・。)

見晴台遺跡の発掘参加から50年。考古学の人に出会って50年。それにことよせて、昨年度と今年度の見晴台遺跡発掘中止について、別のサイトに書いてみた。どうぞご一読のほどを。
「市民発掘 過渡期迎え中止」を読んで

※写真は見晴台遺跡第8次発掘調査の平板測量の光景。筆者撮影。

  1. 近藤義郎『発掘五〇年』、株式会社河出書房新社、2006年1月20日、参照。
  2. (岡本俊朗編著)『―第20次記念―見晴台遺跡発掘調査のあゆみ』、名古屋市見晴台考古資料館、1981年7月20日、25–26頁。

カテゴリー: homage memoirs

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