幼小中同窓とのやりとりで、話題が小学校の担任教諭に及ぶ。6年担任は同窓会にご招待してお目にかかる機会があったけれど、6年以外の担任にもお会いしたかったという。
過日、荷の奥から出てきた1978年度の卒業生名簿──ワープロ以前の手書きコピー──には、確かに恩師として7名のお名前が載っていて、同窓会にお迎えすることはなかったものの、恩師の範疇の広かったことを知る。それは、そのときの同窓会幹事の見識だったし、卒業後10年ぐらいは私たちが共有する感覚でもあったと思う。
同窓が会いたかったという1年担任の教諭。私の関心はつねに地理に向かいそこからはじまるので、1978年の名簿に載る住所を調べる。40年のあいだに、地名地番の変更はなかっただろうか。1984年にその町の一部が別の町に編入されているが、先生のご住所とは離れているため大丈夫。地名の変更もない。分筆は進んで、号は付されているらしい。この丁の番地がふられた原則もたどってみる。セオリどおりに時計回りであった。
お住まいはいまもそこにあるごようす。お元気でいらっしゃるだろうか──。
あわせて、国立国会図書館デジタルコレクションが蔵する雑誌に掲載された座談会に、先生と同じお名前を見つける。あまりみかけないお名前なので、たぶん先生だろう。刊行年1968年は、私たちが小学校を卒業した年。件の雑誌は、公開範囲が国立国会図書館内限定で、図書館送信資料として閲覧できない。しかし、遠隔複写サービスが可能なため、町の図書館までひとっ走りして頼んできたところ。
ところで、同窓会名簿1978年度版のあとがきに、この同窓会の名称を「七葵会」にしたいとの提案が書かれていた。「しつきかい」と読むとの注記もある。提案はその後どうなったのだろう。小学校の恩師、同窓なべて、七葵会の語の新鮮のうちに想う、きょう三月三日であった。
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