26 10月 2011

吉根の思想

Posted by fische on 10/26 at 02:00 AM
(0) CommentsPermalink

「吉根」と書いて「きっこ」と読む。

昨晩、守山区の吉根小学校に行った。1980年代前半は毎週のように通ったこの地だが、同後半以降、県道多治見田代町線西側の吉根にはゆくことがなかった。そのあいだに、一面水田だったこの場所は、埋め立てられて新興の住宅地に変わった。人口増を見込んで、2007年4月に新設されたのが同校である。

講堂の緞帳は、後景に富士ケ嶺の山並みと庄内川、前景の上半に白鳩、下半に桔梗の花を散らしている。桔梗は吉根の地名の由来と言われているからだろう。人家が見られないようすから察して、区画整理前の吉根を西側から見た図で、いまは亡き実景を小学校の緞帳の絵に残し、児童に伝えていこうという意図を読んだ。

それにしても寂しい絵である。未来が感じられない。繰り返すが、富士ケ嶺の山並みと庄内川をともにする実景は過去のものである。いったい誰が、それら景色をして未来を見遣るだろうか。眺望して楽しむことすらいまではできない。平和のシンボルを意味して白鳩が配されたのであれば、辛うじてここに未来を感じるが、せいぜい現在どまりの未来と言うべきである。平和は過去の戦争に繋がれている。そして平和の白鳩は、この絵の中ではもっとも抽象化の作用を必要とする高度な要素である。

ところで、この絵の前でおこなわれていたのは、9月の台風15号で被災した地区住民向けの、行政による集いであった。行政の誰もが、今回の事態を理解していないようすがよくわかった。理解していないから答えようがないにもかかわらず答えているために起きる思考停止、つまり行政の「無謬」を言う以外に言うべきことを持たないようすが戯画的であった。そもそも制度設計が誤っているのだから、その上で無謬を説くことは誤謬と同義である。福島原子力発電所の事故と同じ構造である。

それでも、今後の対策が強く求められたのは言うまでもないが、緞帳の絵にはなかった吉根の未来を、庄内川が開いたのかもしれないと思った。過去と現在と未来をつなぐべくして、庄内川は氾濫して決起したのではないか。かくして緞帳の絵も、庄内川において吉根の未来を約したのではないか。

庄内川の氾濫は訪れた。やがて山津波も訪れるだろう。そのとき緞帳の絵は、富士ケ嶺の山並みと庄内川もろともの地殻から未来を指し示すことになる。吉根は、区画整理以前の吉根に戻りたがっているのだろうか。

categories: town & city • tags: