29 9月 2011

夏の遺跡(2)

Posted by fische on 09/29 at 07:37 PM
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ちょうど40年前、1971年の夏に見晴台遺跡第9次発掘調査があった。高校1年生の私にはとても賑やかに見えた。低地から天の開けた台地上に移ったことや、前年1970年に調査がなかったこと、末岡熙章先生引率の高蔵高校女子生徒が参加していたことなどがあったからであろう。10次はもっと賑やかだったが、その前兆であったといまになって思う。

見晴台遺跡発掘調査の長い歴史のなかで、1972年の10次調査は新しい考え方と新しい体制とを掲げるものとして正しく記憶されてよいが、その原形が9次にあった。一方でその9次は、1~8次の性格をも継続していた。見晴台遺跡の保存活用を旨として1963年に組織された民間の名古屋考古学会があり、9次までの調査団団長を同会会長の吉田富夫先生がつとめられたことがこれをを象徴する。そして、9次から文化財保護行政を担当する専門職員が登場した。ふたりが同席した見晴台は9次が最初で最後であった。

日常は無分別にだらだら続いていくようでいて、時として「ここが時代の画期である」と指し示すことのできる一点のあらわれることがある。私は10次よりも、アモルファスな9次にそれを認めたい。分水嶺であった、と。

私は8・9・10・11次の調査に参加したが、中心は9次にあった。参加日数も多かったし、写真もたくさん撮っていて、それは調査後、東山荘における秋の遺物整理まで続いた。私の考古学の性格を決定したのは紛うことなく岡本俊朗さんや齋藤宏さんのいた10次だが、9次はたどり着けない未来のようにしていつもあり、その中心に吉田先生がいらっしゃる。

写真は、グリッドを設定し表土層を剥ぎ始めた調査初日頃のもの。一番手前が吉田先生、一番高い位置にいるのが井上光夫さん、その右隣の眼鏡の人が桜井隆司さん。おふたりともいまでは定年退職されてしばらくが経つ。同じ時の別の写真はこちら。(つづく)

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