Category: town & city

6 9月 2016

左岸

Posted by fische on 09/06 at 02:30 AM
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むかし、川の左岸には造船所が並び、傾斜の緩やかな河川敷で船を造っては進水し、また引きあげては修理していた。

そしてくだんの場所は、16年ほど前まで、製材・木材加工業者の古い大きな工場があり、市が買収して教育委員会の施設をつくった。

旧の川縁は、浸食を防ぐため礫で護岸し、親水公園のようにしてあった。そのまま歩いて川に入ることもできたが、黒く濁る水がそれを拒んでいた。それでも、いつも子どもが水際で遊ぶのを見た。ついこのまえ、台風の去った日、増水した川の横を、母が子を抱えて歩いていた。

田舎の景色のなかの、箱庭のような川辺。造船所時代の遺構なのだろう、水面に頭を出す朽ちた木杭。ちょっと都会的に感じるそのようすが、好きだった。

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11 6月 2015

建物二題

Posted by fische on 06/11 at 06:50 PM
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5 10月 2012

すべてが大人の世界だった。

Posted by fische on 10/05 at 07:35 PM
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きのう、地下鉄の一駅分、中央駅から彼のコンサート会場までを歩く。途中、そのビルのある交差点に出る。その写真を撮るのは無論、ていねいに見るのも初めてのこと。

写真の肉そば屋の場所に、かつて書店があり、ビルのオーナーが店主だった。考古学研究者の店主ゆえ、町の本屋には不相応に考古学関係の洋書、報告書が棚に列んでいた。「タイムマシン」に歌ったStar Carrの書があったのはここ。そして、最上階の塔屋にオーナーの事務所があり、そこに集まってはいろいろ議論する、書店の名前を冠したクラブがあった。このクラブはわたしには、いくつかあった結社のうちの重要なひとつであった。

小さな通りをはさんだ、南のビル1階の喫茶店はなくなっていた。当時は、休憩のタクシーの運転手で賑わっていたように憶えている。誘われて数回行ったが、精算時に店主は必ず領収書を求めていた。さらに喫茶店のビルの裏には駐車場があり、店主の車が置かれていた。高校1年、2年のわたしには、すべてが大人の世界だった。

40年前を想い起こし撮影した写真を見返したとき、70余年前が過ぎった。満洲帝国新京特別市の裕昌源ビル、そして入り口の写真には、甘粕正彦の大東協会が入っていた本城ビルの入り口(I-28「事務所前の博物館職員」『新博物館態勢 満洲国の博物館が戦後日本に伝えていること』名古屋市博物館、1995年、35頁)が。40年前から70余年前より、40年前から今日までの方が長い。当時の「大人の世界」の方が満洲国に近かったのである。

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2 6月 2012

続・木造三階建て

Posted by fische on 06/02 at 01:33 AM
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歩いていると、不意に木造三階建ての家屋と出会す。これは、名古屋市中村区の西柳公園と道路ひとつはさんだ東側の街区の北西角にある建物。北西から見る。

40年ほど前、西柳公園でおこなわれた集会に来たことがあるが、そのころ建物のことに関心などあるはずもなく、憶えているのは、歩道に出て出発するデモンストレーションの隊列の中から後方―都ホテルのある西方を振り返ったことだけ。都ホテルの窓の形、外壁の色は特徴的だった。もうないのにいまも探している。

笹島の越冬闘争が西柳公園で始まったのはそのころである。

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24 5月 2012

「プレイスカラプチュア」

Posted by fische on 05/24 at 11:30 AM
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園のホームページに説明がある。

彫刻作品の園庭遊具
通称「スカラプチャー」、正式な名称は「プレイスカラプチュア」で「遊ぶことのできる彫刻作品」と訳すことができます。公園で良く見かけるコンクリート製の遊具ではなく寒水石(大理石の一種)で作られています。
このプレイスカラプチュアの制作者は故野々村一男先生で、日展にも数多く出品のある著名な彫刻家です。当時(略)縁のあった野々村先生が「何か子どもたちのためになるものを」と園に寄贈されました。
1959年(昭和34年)に野々村氏自ら大きな石を持ち込まれて園内で制作されその年の9月1日に完成、子どもたちは大喜びでした。古い写真を見るとこのプレイスカラプチュアで滑ったり、くぐったり、中には飛び降りたりと楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿が写っています。安全上から現在は滑り台の頂部に手すりが取付けられていますが、当時けがをする子どもはほとんどいなかったそうです。
以来、プレイスカラプチュアは野々村先生の子どもたちへの深い愛情とともに、現在も(略)シンボルとして子どもたちの元気な姿を見守っています。

そうした経緯を知るのは最近のこと。入園1年目に制作されていることになるが、その光景は覚えていない。そして3年間、いつもそこにあった。

思い出して、歌にしようとしていたとき、その温度を思い出す。

ビル街の
園庭で
冷たく白い
スカラプチャーで
遊んでいた
(「君がいた頃」)

近づいて、手のひらをあててみる。
まわりこむ。
小さな円窓からのぞく、行き止まりの空間に潜り込んだあの感じ! かたつむりの殻の奥のような・・・。

ちょうど50年前、ここを卒園した。

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考古学の風景

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