Category: archaeology

31 5月 2013

与助尾根遺跡

Posted by fische on 05/31 at 10:43 PM
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中学生のとき、家族旅行ではじめて来た与助尾根遺跡。以来、幾度となく訪れたが、むかしの復元住居が好きだった。むかしのもいまのも堀口捨巳の同じ図面を用いているらしいが、できあがりの風情は違ってしまった。

いつも宮坂英弌さんと写っていたむかしの復元住居。その人の尖石考古館も、先々代の白亜のドームのそれがよかった。ここに学びて、名古屋の荒木実さんは荒木集成館を作った。こちらも初代の建物には趣があった。

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8 4月 2013

「その場所」

Posted by fische on 04/08 at 02:57 AM
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もう何年 来ていなかっただろう
借景のあの山は 新緑に萌える
雨上がり 造成の赤土
踏みながら 僕のブーツは 重くなる ああ
踏みながら 僕の胸は じんとなる ああ

「その場所」

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26 3月 2013

赤松啓介と見晴台

Posted by fische on 03/26 at 01:23 AM
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1983年夏、岡本俊朗さんが急逝した。遺稿と追悼文とからなる本を作ることになり、岡本さんの活動を知ることのできる図書、資料を赤松啓介先生にお送りして一文をいただこうということになった。寄せられた長文の「文化財保護運動の軌跡」は望外の喜びであった。

今度、「見晴台教室」や「見晴台遺跡発掘調査のあゆみ」などを読ませていただいて、「月の輪古墳」発掘調査以後に、このような「市民参加の原則」を堅持した運動が、二十年に渉って継続されていたことを知って、まことに迂闊であったと驚いたのであり、かつその運動の中心に居られた岡本さんの努力を知ったことであります。
(赤松啓介「文化財保護運動の軌跡」岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記―日本考古学の変革と実践的精神―』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、539頁。)

赤松先生はそう書いて、「見晴台遺跡発掘調査の具体的な様相については、現地の皆さんがよく承知しておられるので、私などまだ現地を踏んでもいないものが、とやかく申すことはありません」(前掲書540頁)と続けた。

そして1985年夏、赤松先生は見晴台遺跡に立つ。岡本さんの本の刊行記念の集いに遠路参加された翌日のこと。

赤松先生が亡くなって、きょうで13年。

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5 10月 2012

すべてが大人の世界だった。

Posted by fische on 10/05 at 07:35 PM
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きのう、地下鉄の一駅分、中央駅から彼のコンサート会場までを歩く。途中、そのビルのある交差点に出る。その写真を撮るのは無論、ていねいに見るのも初めてのこと。

写真の肉そば屋の場所に、かつて書店があり、ビルのオーナーが店主だった。考古学研究者の店主ゆえ、町の本屋には不相応に考古学関係の洋書、報告書が棚に列んでいた。「タイムマシン」に歌ったStar Carrの書があったのはここ。そして、最上階の塔屋にオーナーの事務所があり、そこに集まってはいろいろ議論する、書店の名前を冠したクラブがあった。このクラブはわたしには、いくつかあった結社のうちの重要なひとつであった。

小さな通りをはさんだ、南のビル1階の喫茶店はなくなっていた。当時は、休憩のタクシーの運転手で賑わっていたように憶えている。誘われて数回行ったが、精算時に店主は必ず領収書を求めていた。さらに喫茶店のビルの裏には駐車場があり、店主の車が置かれていた。高校1年、2年のわたしには、すべてが大人の世界だった。

40年前を想い起こし撮影した写真を見返したとき、70余年前が過ぎった。満洲帝国新京特別市の裕昌源ビル、そして入り口の写真には、甘粕正彦の大東協会が入っていた本城ビルの入り口(I-28「事務所前の博物館職員」『新博物館態勢 満洲国の博物館が戦後日本に伝えていること』名古屋市博物館、1995年、35頁)が。40年前から70余年前より、40年前から今日までの方が長い。当時の「大人の世界」の方が満洲国に近かったのである。

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20 11月 2011

せうそこ

Posted by fische on 11/20 at 12:03 AM
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きょう、激しい雨の中、先生のお墓を探しに八事へゆく。しかし見つからない。お墓参りした記憶、光景はゆめまぼろしだったのか。だとしたら、きょうのわたしは、子どもの頃のように、夢遊病の人である。

そして、先生のお宅はなくなっていた。奥さま、先生のお姉さまもの姿も見えない。

写真の中段あたり、白のネットフェンスに囲われた場所に、先生のおうちが建っていた。それより手前、自動車の停まる場所から植栽を経て一番下の駐車場までは、左側の道路のようになだらかな斜面で、鬱蒼とした木立にツバキがなどがきれいに咲く、このあたりの丘陵の旧の景観を残す場所であった。ここに、あの宝篋印塔の基礎も置かれてあった。

隣家の人に、5年ほど前までのようすを教えていただく。消息(せうそこ)は不明。もうお会いできないのだろう。

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