18 8月 2005

西円頓寺商店街

Posted by fische on 08/18 at 03:19 AM

FEPの辞書にもない「えんどうじ」。すなわち「円頓寺」。名古屋の駅前、西区にある。7月中旬、そして末の七夕まつりに行った。五条橋から那古野町までのアーケード街(円頓寺商店街と円頓寺本町商店街)は賑やかだったが、その、道ひとつ越えた西の街路は閑かだった。そこは西円頓寺商店街。東方のアーケード街同様の飾り物はあっても、商店が街をなしていない。

商店街の歴史」は言う。

円頓寺・円頓寺本町・西円頓寺商店街は名古屋でも最も古い商店街として、また大須と同様に円頓寺の門前町として庶民に親しまれた街である。歴史は江戸時代にさかのぼり、当時、政治的中心であった清洲から、名古屋へ城を移し、武家、社寺、町家、町名までが総移転する「清洲越」によって城下町が造成されました。円頓寺に商店街が形成され、名古屋西部一帯の中心的盛り場となったのは明治20年代以後のことである。この頃、笹島に鉄道駅開設や工場などの建設、都市交通の整備も円頓寺筋の盛り場を促進し、飲食、用品、雑貨を中心とする商店街として発展し、商店街は江川を越え更に西方にまで延長されました。円頓寺筋には二、三の劇場や寄席が設けられ、市電の通る江川通には夜店が並び、全市でも広小路、大須に次ぐ規模で、大正、昭和、戦前を通じて堀川以西の市街地における最大の盛り場として周辺地区からの客を集めていました。

さらに、「円頓寺-名古屋を歩こう」は言う。

かつては名古屋の三大繁華街だった-円頓寺商店街
堀川に架かる五条橋から西に伸びるのが円頓寺商店街です。円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街の3つからなり、ここも名古屋城が築城された際に、城下町の商店街として整備されました。名古屋で最も古い商店街で、大須と同じく圓頓寺の門前町として親しまれています。最盛期は1890年代(明治中頃)以降で、この付近に工場が建設され、笹島に鉄道駅が開業すると名古屋の盛り場として発展、商店街は江川を越え西へ西へと延長されました。江川は昭和に入ると埋め立てられ、その江川線には当時市電が走り、界隈には夜店が並び、劇場や寄席も設けられていました。今も劇場の面影があることはあります。名古屋三大繁華街、栄、大須そして円頓寺という時代が昭和初期まで続きました。しかし戦後は人の流れが少なってしまい、かつての隆盛を見ることはできません。

とりわけ、西円頓寺商店街はそう。「何だ!?このカンサンは!?」
大須は、近年のまちづくりのプロジェクトも手伝っていまも人通りが絶えないが、まつりの日以外のふだんの円頓寺はさながら忘却の商店街だ。私の通った幼稚園は、この商店街に隣接している。幼児の世界はいたって狭いが、それでもこの商店街は記憶に鮮明なのだ(半谷さんのパチンコ屋!!)。大須のように再生するのは今となっては嫌味で鬱陶しい。それが近世からの盛り場だったことがキャッチーだったのかもしれない。観てはいないが、これに追随する展覧会さえパブリックに開催されている。しかし円頓寺は、近代の「盛り場」の、大須とは異なる別の「再生」という未来をそのうちに秘めているように思えるのだ。また、必ず行く。

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