26 4月 2004

現在に対する想像力

Posted by fische on 04/26 at 03:10 AM

『「文学史を読みかえる」研究会・通信』No.23(2003年8月)に、宍戸友紀「報告「谷川雁の詩語轢断」の報告、および、負け犬の遠吠え」(2003年6月7日 関西研究会 報告)がある。研究会は、詩人谷川雁をとりあげたものだったが、「この研究会での発言は、大別すれば「散文の発想」に基づくものが多く、「詩の発想」の側はその存在を主張できないまま、いわば不戦敗を喫した」と言う。後者に属する著者であるがゆえにタイトルは「負け犬の遠吠え」とされて、谷川雁の評価、著者の詩論が展開されている。

その末尾近くにあるのが次の一文である。

過去に対する想像力の重要さについては、この研究会でしばしば語られていたと記憶している。しかしその逆もあるのではないだろうか。現在の日本の中で生まれている表現、ましてや「摂食障害」を扱う作品など、初めから「所詮プチブル」のものと切り捨てて見向きもしないという感性が、もし多少ともこの研究会で共有されているなら、それは「現在に対する想像力の怠慢」に近いのではないかと私には思える。

注釈は不要だろう。例えば、戦後、日本に移住した樺太先住民のいま現在を知らずとも、「過去への想像力」をふりかざして旧植民地(?)─樺太先住民との連帯を語ることができるという現実、その政治的センスを見ればよい。凝縮すれば、彼らがなす論文という散文に、いかに詩を対峙させるか、ということになる。
博物館研究に及んで言えば、それは、過去への想像力のない現在論、現在への想像力のない過去論のいずれかに限られる。そして、「「文学史」を学ぶことが、このような(「根来佑のような人が、かつての石牟礼道子と重なって見える」ということ──引用者注)過去と現在の連帯をつくり出す方向に役立たないなら、淋しいことだと私は思う」との宍戸氏のいいは、私たちにも言い得ていると思うのである。

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