10 11月 2011

TPP雑感

Posted by fische on 11/10 at 02:33 AM

単純な二項図式だが、以下備忘録として。

日本資本主義論争において、講座派は明治維新で絶対主義天皇制と半封建的地主制が遺ったとし、まずはブルジョア革命によってそれを打倒し、社会主義革命への展開を説いた。これに対して労農派は、ブルジョア革命は明治維新で果たされており、目指されるべきは社会主義革命であると説いた。これは、わが国革命の路線上の問題である。

両者を歴史学で一瞥すると、実に相違著しいスタイルの論文を展開してきた。講座派は常に世界史を参照してこれより日本史を演繹し、労農派は個別具体的なわが国の事象から帰納した。講座派はわが国の現実を批判することから開始し、労農派は現実を肯定することから歩を進めたのである。

「講座派/労農派」の経験を軸に、その前史を眺めると、幕末明治の「開国/攘夷」に注意がうながされる。単純化して言えば「開国」は世界史と親しい講座派に、「攘夷」はその反対の労農派に通じる。

「講座派/労農派」の後史が、現下のTPP問題である。TPP賛成派が表徴する「開国」は、幕末明治の「開国」のアナロジーである。それにしたがえば、TPP賛成派は講座派となり、TPP反対派は労農派となる。

狭義の党派政治の範疇からすれば、講座派は共産党、労農派は社会党、という括りで語られるが、より広義にわが国近代の政治、経済、文化を構造的に規定する二項と考えることができる。文化の領域では、さすがに邦楽と洋楽が対立的に語られることはないが、構造として存在することは誰も否定しないだろう。隣国中国における「洋法/土法」ともパラレルである。この構造は、わが国の、というよりアジアの、と言ってよい。

このように見来るとTPP問題をめぐる現下の状況は、世界史-日本史を貫いてきた構造的問題の再演、再々演と考えられる。いずれに与するかは、「いまここ」の大問題ではあるが、「いまここ」が近代日本であるからには、この構造がTPP問題で死滅することはありえず、事態の推移を分析的に観じてゆきたい。そのうえで思うのは、もっとも講座派的なのは仙石由人かもしれない。

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