13 5月 2009

追悼、本山政雄さん。

Posted by fische on 05/13 at 03:50 AM

11日、本山政雄さんが98歳で他界した。

本山さんが名古屋市長だったのは、1973~1977年(1期)、1977~1981年(2期)、1981~1985年(3期)の12年。それまで市長といえば、水道局の杉戸さん一辺倒だったが、高校3年になったとき本山さんが登場する。浪人の2年間、そして名古屋を離れた大学4年間ののち、1980年4月に就職して名古屋にもどると、まだ本山さんがいた。しかも職場のトップが本山さんだった。しかし、オリンピック誘致の行政には閉口した。だから、1981年の市長選挙では竹内義次さんに投票する。そのため、25歳ではじめて投票所にも行った。それから1985年まで、本山さんは市長だった。

「毎日jp」は「河村たかし市長が、それまで本山さんが持っていた市長選の最高得票記録を塗り替えて当選してから半月後の逝去は、一つの時代の終わりを告げた」と書いていた。農業社会から工業社会への移行期に特徴的な教養文化(竹内洋)を、名古屋では本山さんが体現したのだと思う。追悼のあちこちに見える「学者」「知識人」の形容は、その断片である。そして河村さんは、工業社会以後の大衆文化を体現すべくいまある。大衆的に、都市的に。本山さんは大阪府の黒田了一さんと、河村さんは同じく横山ノックさん、橋下徹さんと、それぞれパラレルである。

ところで、本山さん以後の名古屋は、水道局の西尾さん、教育委員会の松原さんという「田舎」を過ごした。ちなみに、松原さんの最後の大仕事、名古屋城本丸御殿復原は、もとはといえば、杉戸さん、本山さんのもとでの名助役浅井さんの夢であった。水道局の浅井さんである。本丸御殿復原は、名古屋最後の「田舎」となるのだろうか。名古屋は、本山さんに接続する都市化のステップを、河村さんの登場によってようやく踏んだのかもしれない。よくもわるくも。

そして、「地方自治とは住民の政治訓練の場である」という定義を了とすれば、国会・県会・市会ではなく、支持・不支持と関係なく、本山さんという首長を介してわたくしは、ハイティーン以降約10年の政治訓練を断続的にしていたようにも思えるのである。

ご冥福をお祈りします。

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  1. 1973年の選挙は、本山さん421,266票、杉戸さん416,512票で接戦だったことを知る。http://tinyurl.com/qneafw にて。

    Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address)  on  05/22  at  12:18 AM

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