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月別: 2018年5月

女流、女史、閨秀

アイルランドでおこなわれた人工中絶合法化の是非を問う国民投票は、圧倒的多数で是とされたとの由。很好!

封建遺制は各国にあるが、果たして遺制なのか?と思う。アメリカ合衆国の「 #metoo 」運動は、その国その人民における封建制の証左であろう。その国、その人民はたいそう酷くて、いまなお南北戦争の時代を生きている。

わが国は封建国家である。せいぜい、封建的民主国家、民主的封建国家と言ったところか。制度の問題を言いたいのではない。制度を支える民衆の様式、民俗文化がそうなのだ。

「女流」「女史」を使うリベラルな人がいる。が、ちょっと考えてもみればわかることで、「男流」「男史」はない。「女流」「女史」とは、声高に言うまでもなく男性社会、男尊女卑の用語なのである。(と言うと、いろいろ弁明が発明されるだろう。男の。あるいはマチズモの。)

「閨秀」にいたっては酷くて、「閨秀」は一義たる「学問や芸術に特にすぐれた女性」でよさそうに聞こえるものの、用字をたどると「閨」は、一に「後宮。婦人の寝室。夫婦仲に関すること」、二に「婦人のことをいう。女流」とな。二は第二義だから、第一義は「後宮、婦人の寝室…」にあるわけで、その秀でたものを「閨秀」と言う次第。これに対応する男性の語はある?

ジェンダー(学、論)のお人たちは、きっと言っていることと思うし、むかしから言われているに違いない。でなきゃおかしい。おかしくてもおかしくなくても、私たちは絶望的に、封建的「いまここ」を生きているのである。

注)語意はネットで検索したものです。いちいち出典を明記しませんが、ご不審でしたら検索して下さいませ。

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給水塔

遠くの図書館から借りてもらって、きのう返した別の本(1963年刊)から。曰く、

 給水塔は標高105m(当所最高地)の丘の上、地上21mの雄姿は強くそびえ立ち、はるかに東海道線の車窓よりも望見され、当所の象徴として広く親しまれている。

給水塔
そういえば、藤山一雄も満洲国新京特別市の都市論で書いていた。

 古き長春の町の回顧を彩りしものは、実にかの赤き夕日に映ゆる、上水タンクの姿である。此の上水タンクは、遮るものなき平野面に成長せる満鉄沿線都市の姿態を、如何にメランコリツクに、亦言ふべからざる甘き悲しみに似たる賑やかさを添えたことだらう。(藤山一雄「国都建設について」『帰去来抄』、東光書苑、1937年9月18日、66頁。)

給水塔なのである。

閑話休題。本にある給水塔を利用していた施設はなくなったが、給水塔は装いを変えていまもあることが、Googleマップ、ストリートビューでわかる(先頭の写真)。

私が生まれる10年前に、ここで死んだ祖父も、きっとこの給水塔を見ただろう。見舞ったに違いない16、17歳頃の母も、伯父も、叔父も。祖母も?そう思うときこの給水塔は、母方の親族の「象徴」なのかもしれない。行かなくちゃ。

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職業別電話番号簿

町の図書館を通じて、遠くの図書館から借りてもらった図書。連休前に届いて、館内閲覧制限つきのため何度かでかけ、きょうが期限で閲覧を終えた。

そのうちの1冊、昭和36年の職業別電話番号簿。多少の調べごとのため請求したが、その当時、子どもの私には知るよしもなく、のちに小学校や中学校、高校で人に出会って知ってゆくことがらが、そこここに記されてあるというのはたいへん興趣だった。

とりわけて広告――。広告の有無、大小は、そのときその店の興隆を物語っていようが、店以上に、たとえば「亜炭」という業種はいまもあるのだろうか。このとき載っているのは10件。

そして、広告の書体、図柄の多くは手描きで、ポストモダンで差異化が語られるまでもない世界がそこにあった。

社会学の好きそうな材料が山のようにある。もうだれかやっていることだろう。やってどうなるの?(業績づくり以外に)という感じなきにしもあらず。だとしても、若かったらやったかもしれないが、いまはもういい。いや、若さでやれることと、やれないことがあるから、いまからやってもいいか・・・。と、思案。

名古屋市職業別電話番号簿/昭和36年5月1日現在

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リニューアル

ウェブサイト ORE NEST をリニューアルしました。どうぞよろしくお願いします。

  • CMSツールを、これまで使ってきた ExpressionEngine から WordPress に変えました。
  • サイトの細部は構築中です。
  • 旧サイト(2018年4月30日更新停止)はURLを変えて残してあります。
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