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カテゴリー: locī

昭和ビルディング

柳橋を北進する際信号待ちで、旧・昭和ビルディングの解体工事現場を見た。

白いフェンスにおおわれた中、2階の高さあたりに影が映るが、ほとんどなくなっている。東隣の旧・ガーデンビルも同時に解体されていて、交差点角の3階付近が、まだ少し見える。

旧・昭和ビルディングは1956年築。同時期に出来た旧・ガーデンビルより、先に建ったと聞いた。

組木のような旧・昭和ビルディングと旧・ガーデンビル(Googleマップから)

【過去の記事】

  • http://pre.orenest.net/index/All_were_the_grown-up_world
  • http://pre.orenest.net/index.php/orenest/comments/showa_building
  • http://pre.orenest.net/index.php/orenest/comments/nagoyanowandthen
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あかつき

対岸は神戸港中突堤。この視界の右方に神戸ポートタワーがある。1980年代前半、新港から撮る。

停泊しているのは大島運輸株式会社のフェリー「あかつき」。1981年7月から阪神-那覇を就航したとある(1) 。探すと「海岸通りのブログ」に同船の記事があった(2)

このときから35年ほどが過ぎて、中突堤はずいぶん様変わりしたらしい。震災もあった。

  1. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マルエーフェリー []
  2. https://blogs.yahoo.co.jp/kaiganndouri_thirty/11085783.html []
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惣兵衛川


東枇杷島に住んでいた頃、身近に惣兵衛川はあった。その川が美しかったという記憶はないが、この写真(1) の惣兵衛川は美しい。1972年以前、庄内学区での撮影である。

田に水が入る頃になると、惣兵衛川は水を満々と湛え、水はゆっくりと流れた。八月の盆、精霊流しの頃も水は満ちていた。いまでは、この写真のようにオープンな景色を見ることはできない。

  1. (写真)「妻問い伝説の惣兵衛川」『創立百周年記念 庄内』、名古屋市立庄内小学校、1973年2月1日、185頁。 []
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水の世界

岐阜の山地をこえ平地に出ると、眼下は水の世界だった。
濃尾平野!
地球の表面を薄く水がおおっている。

田の形は整備されて無愛想になったが、この高度からだとそれも気にならない。水の田のモザイク。

そして、南にゆくに連れ水面が緑になってゆく。
田植え!
南から北へ稲が漸進している。

夕陽を映して、田の光は、遠くまで続く道のようだった。きょう私は少しだけ、〈形よりして上〉に居た。

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給水塔

遠くの図書館から借りてもらって、きのう返した別の本(1963年刊)から。曰く、

 給水塔は標高105m(当所最高地)の丘の上、地上21mの雄姿は強くそびえ立ち、はるかに東海道線の車窓よりも望見され、当所の象徴として広く親しまれている。

給水塔
そういえば、藤山一雄も満洲国新京特別市の都市論で書いていた。

 古き長春の町の回顧を彩りしものは、実にかの赤き夕日に映ゆる、上水タンクの姿である。此の上水タンクは、遮るものなき平野面に成長せる満鉄沿線都市の姿態を、如何にメランコリツクに、亦言ふべからざる甘き悲しみに似たる賑やかさを添えたことだらう。(藤山一雄「国都建設について」『帰去来抄』、東光書苑、1937年9月18日、66頁。)

給水塔なのである。

閑話休題。本にある給水塔を利用していた施設はなくなったが、給水塔は装いを変えていまもあることが、Googleマップ、ストリートビューでわかる(先頭の写真)。

私が生まれる10年前に、ここで死んだ祖父も、きっとこの給水塔を見ただろう。見舞ったに違いない16、17歳頃の母も、伯父も、叔父も。祖母も?そう思うときこの給水塔は、母方の親族の「象徴」なのかもしれない。行かなくちゃ。

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