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庄内公民館

庚申塚の東隣の場所は、明治以降、役場や小学校があり、庄内町が名古屋市に編入されたのちは公民館があった。『創立百周年記念 庄内』に載る公民館の写真は、公民館と明示したものが2点、庚申塚の写真に写るものが1点、計3点ある。建物正面から背面へという順序で見てゆこう。

  1. 正面と西面
    白っぽい平坦なファサードは、モルタル造のそれと思われる。公民館前の道が狭く引きがとれないため、建物全体を撮るのに苦労しているようすがうかがえる。写真の右下に、公民館のむかいの家の屋根と白い雨樋が写り込んでいる。写真下辺に見えるのは、庚申塚のブロック塀の上端である。
  2. 西面
    1階西面の板壁と窓3列が見える。2階の窓も少し写る。庚申塚と道路のあいだにはブロック塀がある。塀のなかには手前から、「旧蹟 庚申塚」銘石碑、幟立、看板──名古屋市教育委員会が立てた「稲生原古戦場址」の説明板であろう──、小祠、が見える。
  3. 北面と西面
    西面に回り込むファサードが見える。公民館の後ろに見える低い屋根は、なにかの付属施設であろうか。よくわからない。右下の黒い影になっている屋根は、庚申塚の小祠である。

ところで、「惣兵衛川──霊火の妻問ひ」で掲げた写真について、「木立の右に庄内町役場の建物がある」と書いた。この写真を載せた『庄内町誌』は、同町が名古屋市に編入する1937年3月1日の前日2月28日の発行日をもつ同町最終日の刊行図書であり、同書折り込みの「庄内町全図(1) 」が指し示す役場は庚申塚の東隣であった。よって、「惣兵衛川──霊火の妻問ひ」の写真に写っている建物は役場であり、白っぽい平坦な壁に細長い窓が上下2段に見えるようすは、公民館と同じである。庄内公民館は庄内町役場の建物を転用したものであったことが、写真からわかる。

1. 正面と西面
2. 西面
3. 北面と西面
撮影方向概念図(「光音寺町(89-25)」(1:3,000地形図)、名古屋市、1967年測図・印刷、を改変して作成。)

 

  1. 「庄内町全図」小出儀重編『庄内町誌』、愛知県西春日井郡庄内町役場、1937年2月28日、(頁数無し)。

Published in locī

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