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堀越町遺跡拾遺

堀越町遺跡のことをおさらいしながら、気づいたことを少し。

1970年の初日の1枚を除いて、この遺跡の写真を撮ってこなかった。写真熱が冷めていたからなのか、あまりにも近所だったからなのか――。東洋レーヨンのグラウンドの風景は撮ったような気もするが、定かでない。

かわりに、遺跡を学区にもつ庄内小学校の『創立百周年記念 庄内』に載るグラウンドの写真2点 (1) を掲げる。この景色は、私が知るのとほぼ等しい(上の写真、並置は私による)。

写真2点は、グラウンド西角の庄内川左岸堤防上から東方を見た、北半分(同書145頁、上の写真の左、下の図の赤色)と南半分(同書65頁、上の写真の右、下の図の青色)である。同じ時の撮影と思われ、南半分近景のバックネット左端が切れているが、遠景は連続しているように見える。1枚の写真とも見まがうが、別カットであろう。

北半分の左方、グラウンド後ろに名古屋市水道局城北下水ポンプ所、右方に東レの煙突が見える。

南半分の写真には、左端グラウンド上方に東レの西門、正面の遠くに国道22号線沿い同社4階建ての社屋が見える。右のさらに遠方の塔は、西消防署の望楼である。

1970年の工事は、グラウンドの東辺に沿うネットの手前、写真左側(北)から右側(南)へと掘削しておこなわれた(上の図のグランド内右側、黄色の縦方向帯状部分)。

  1. (写真)「船人夫町貝づかあと(東レ運動場)」・(写真)「船人夫町貝塚址(東レ運動場内)」『創立百周年記念 庄内』、名古屋市立庄内小学校、1973年2月1日、65・140頁。

Published in archaeological studies

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